※一部、原文より改変しております。
作:あきねこ 様
――痛みって、熱いんだ。
朦朧とする意識の中で、譜久里知世はそんなことを思い、ふいに泣きたくなった。
慌てて目を強くつぶって涙をこらえる。
声を出そうと何度も試みた。喉がどれだけがんばっても、耳に聞こえてくるのはくぐもった獣のようなうなり声だけ。自分はこんな声をしていた――? 最初は信じられなかったけれど、今となっては突きつけられた現実のひとつ。やがて知世の喉は疲れ果てて、口からは貼られたガムテープのわずかな隙間からひゅーひゅーという細い呼吸音だけしか聞こえなくなった。
どうして? どうしてこんなことになったの?
この数時間――たぶん数時間――何度も頭の中を巡った問いが変わらずチカチカと点滅している。
目に見えるのは何も物の置かれていない殺風景な廃屋の一室だった。はたして掃除はされているのか、壁は汚く、床には埃が舞い、知世が座らされている椅子以外何もない。空っぽすぎるその景色は知世の知っている明るい日常とはあまりにかけ離れていて、彼女はこれはやはり夢じゃないかと今でも思う。
そのたびに、体に――手首や腹、足首に奔るじんじんとした痛みが彼女に思い知らせるのだ。――これは紛れもない現実だと。
それは日常の延長だった。放課後いつものように仲良しグループと公園で待ち合わせをしていた知世に、道を尋ねてきた男がいた。仕事で初めてこのあたりにきた営業のサラリーマンといったいでたちで、愛想がよくて不審な男には見えなかった。そう思ってしまったのは知世の若い純粋さだったのかもしれない。
聞かれたアパートは知世もよく知る場所だった。口では説明しづらい場所だったから、近くまで一緒に行ってあげようと考えてしまった。今までだってそうやって困っている人を助けてきたのだから、今日だけ行動を変えるわけがなかった。
――今こうして廃屋の一室に取り残されて、思う。なんでこんなに苦しんだろう? 息が苦しいから? 体が痛くてたまらないから?
騙されたことが、悲しいから?
男は知世を薬で眠らせたようだった。目が醒めたとき、知世は椅子に座らされていた。両手は背後に回され、強く縛られている。最初は布かと思ったけれど違った――だんだんチクチクと肌に食い込んでくるようになったのだ。これは、たぶん縄だ。
知世は自分の体に目を落とす。お腹も縛られている――これも縄だった。身をよじるとシャツ越しに食い込んできて、最初は平気な気がしたのに時間が経つにつれて痛みが増してくる。腰から胸のすぐ下あたりまで広めに巻き付けられていて、おかげで呼吸が余計に苦しい。お腹を圧迫されるとこんなにも苦しいのだということを知世は生まれて初めて知った。
その縄の下からは、愛用の白いショートパンツがのぞいていた。その明るい清潔な色は、活発な知世にとって、いつも自分の心のまっすぐさを表してくれているようで誇りだった。それが今は薄暗い部屋の灰色に沈んでくすんでいる。その色合いが、彼女の心にいっそうの影を落とす。
足首もしっかり縛られていた。シンプルな白い靴下が縄から知世の肌を一生懸命守ってくれている。けれど逃げようともがくたび靴下がずれていって、それは徐々に素肌を傷つけるようになった。
体全体で暴れても、体に巻き付けられている縄はびくともしない。知世はぞっとする――誘拐というだけでも恐ろしいのに、犯人の考えが彼女にはまったく分からなかったから。
頭は動く。膝も動く。
なのに、必死にそれらを動かせば動かすほど胸に空っぽな思いが忍び寄った。
――動けないんだ。
うずくような痛みに、焼けつくようなうずきが入り交じる。薬の名残と酸欠で頭がぼんやりとする。何もできない。酸素を求めてあえぐことだけで時間が過ぎていく。体の拘束は思考を拘束して、同じことしか考えられなくなる。
どうしてこんな目に? あの男は何がしたいの? あたしはこの先どうなるの――?
繰り返し繰り返し思い浮かぶ問いの合間。途切れようとする彼女の意識をつなぎ止める糸は、大好きな家族と友達の顔――
最初はこらえていた涙がいつの間にか止まらなくなっていた。体の痛みじゃない、胸の痛みが、彼女に声にならない悲鳴をあげさせていた。
――のちに彼女を救出した救急隊員は、痛切な顔で仲間にこぼしたという。
涙を流した十代の少女の顔からは表情が抜け落ち、それはまるで人形のようだったと。
*
譜久里知世の身に起こった不幸な出来事は、大好きな友人たちの通報と警察の働きによってからくも幕を閉じた。
知世はもともと活発な少女だった。そしてその日以来、いっそうはつらつと動き回るようになったという。
まるで、『動けなくなる』ことを恐れ、必死に逃げているかのように……。
END
コメント
改めて読んでみると、色々な経験から知世ちゃんも結構な闇を抱えちゃってますね~
まだ12歳って設定ですからね、恐い目に遭うとトラウマにもなりますよね…
まあキャラクターには可哀想ですが、そうゆう設定もありかなって思うこともあります(どぎつい洒落にならないのは嫌ですが…
それもまたそのキャラクターを動かす時に、その設定が生きる時がありますからね、トラウマに打ち勝ち前に進むヒロインもまた美しいです!
昔の作品にこうして改めて触れる機会となっていただければ幸いです。