誘拐ごっこ 前編

旧ブログからの転載
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※この作品はフィクションであり、実在の人物・団体・事件とは一切関係ありません。
※掲載されている画像の無断転載を禁じます!
※アフィリエイト広告を利用しています。

※原文から、一部改変しております。

作:狗上つなよし 様 

 青々とした葉を豊かに蓄えた大木が立ち並ぶ林から僅かに離れた所に、一軒のコテージがあった。
 コテージの中の照明は点いておらず、窓から注ぐ、光源は天中に燦々と煌めく陽光のみ。
 蝉のけたたましい鳴き声から、季節は夏であることが容易に判断できる。
 部屋の窓は一枠しかないため、部屋は薄暗い。
 その一室にて、二人の男女が向かい合っていた。

「ん……ん、んっ……」

 薄暗く、物音一つもしない部屋であるため、小さくくぐもった女の声は部屋の中でよく響いた。
 人気がなく、部屋の下で男女が向き合うとなれば、何も起きないはずがなく、などと詩的な表現を用いたくなるシチュエーションだ。
 それは、あながち間違いではない。
 だがそれは、甘酸っぱい青春の恋愛劇といったドラマなどでは断じてない。

「……ん、んーっ!」

イラストは、ぽよい様。

 女性は、ここに監禁されているのだ。
 口はガムテープで塞がれ声は声にならず、ただ呻き声が漏れるのみ。
 両手首をまとめて縛られ、二の腕と胸、椅子の背もたれを縄が数周し結ばれている。
 彼女に許される行為といえば、身じろぎと頭を動かすことで彼女の艶やかな黒のポニーテールを動かすことくらいだ。

 ギシギシ、と。

 女性が身じろぎをするたびに、椅子が軋みを上げる。
 ブルーの半袖のTシャツの上から縄で潰された彼女の形のいい乳房が、その度に形を変えていく。
 白のショートパンツと白のソックスという組み合わせ故に、太ももからふくらはぎにかけて大胆に露出しており、異性には目の毒だ。
 しかしそれら一切合財、男は興味がないのか、色を見せない冷めたで見下ろしつつ平坦に言った。

「大人しくしていろ、笹南 侑衣梨。今、お前の父親に身代金を要求している。手筈通り進めば、明日の朝に金が手に入る。その時には、開放してやる」

 男の言葉に、笹南と呼ばれた女性は視線を鋭くした。
 義憤に駆られるままに、彼女は拘束から脱け出そうと大きく身をよじる。
 それに男は、目を眇めた。

「おい」

 ガン! と、男が床を力任せに踏みつけた。
 音に驚いた笹南は、肩を跳ねさせて、先程まで釣り上がっていた目じりが下がった。

「いいか、何もしなければ、俺もなにもせずに済む。だが、俺も自分の身はかわいい。だからリスクは負わない」

 男は静かに、ポケットから折り畳みナイフを取り出し、彼女につきつける。
 眼前につきつけられたナイフに委縮したのか、身じろぎが小さくなった。

「お前が余計なことをしたら、俺はお前を殺す」

 そこから、笹南の動きが身じろぎではなく震えに変わったのか、小刻みになる。
 それに満足したのか、男はナイフを下ろした。

「とはいっても、直接俺が手を下す訳ではない」

 ピッ、ピッ、ピッ、と。
 単調なリズムを刻む、電子音が鳴り響く。

「制限時間は二十時間。その間に、こちらの要求に対する回答がなければ、お前の口止めと証拠隠滅をかねて、この爆弾がこのコテージがまるっと吹き飛ぶ」

 時限爆弾。
 爆弾と言えば大仰だが、今のご時勢だと材料はディスカウントストアで一式揃う。
 インターネットという便利なものあり、レシピだっていくらでも手に入るのだ。

「とはいっても、こいつだけでは不足だ。1kgのプラスチック爆弾じゃ、このコテージの壁を開けるのが精一杯だろう」

 コツン、と。
 男は爆弾のすぐ横に置いてあるポリタンクを叩いた。

「この中には、ガソリンが入ってる。爆弾が弾ければ、ガソリンは引火して爆風で辺りにまき散らされる。コテージは木製だ、よく燃える」
「…………」
「俺も人殺しにはなりたくない。お互いのために、余計なことをしないでくれ」

 男の言葉で観念したのか、笹南はもう動くことはしなかった。

「…………」

 男は静かに眼を閉じ、静寂が訪れた。
 それから、幾ばくかの時間が流れる。
 ただただ無意味に、無為に時が流れていく。
 コテージの中は、時間が止まったかのように何も起きない。
 けれど実際に、時が止まっている訳ではない。
 窓か、木製故か、外から僅かにセミの鳴き声が漏れ聞こえてくる。

「…………」

 コテージ内は、空調設備が整っていないのだろう。
 じっとり、と笹南だけでなく、男の肌にも玉汗が浮かび上がっている。

「……んぅ……ん……」

 動かないとは言っても、姿勢を固定されているのは辛いのか、笹南は時折身じろぎをする。
 その際に、衣擦れの音も微かに辺りに響き渡った。
 さすがの男もそれを咎めるつもりはないのか、眼を伏したまま沈黙を保っている。
 その最中のことだ。

「……ようやくか」

 ぽつり、と。
 男は呟き、ポケットから一台のプリペイド携帯を取り出した。
 彼は携帯を耳に当てて、暫しの沈黙を保った後に口を開く。

「そうか、わかった。では、こちらの要求通り一億と逃走用の車一台を指定の立体駐車場に停めておけ。俺が確実に逃走できたと思ったら、娘を監禁している場所を教えてやる」

 男は前傾姿勢になって、声のトーンを落として脅すように、それでいて念を押す。

「いいか? 余計なことはするな。お前の娘の命は俺が握っていることを忘れるな。それに、おたくの娘さん、美人だよなぁ? 命以外にも、失うものがあるということも覚えておけ」

 ついで、男は喉を鳴らすように引き嗤いをした。
 初めて、男が感情らしい感情を見せた。
 何故か達成感に満ちた、やりきったという充足感を思わせる声音である。

「冗談だ。目的が達せられれば、誰でも浮かれるものだろう?」

 さて、と男は前置きをした後に口を開く。

「取引は成立だ。ではな。娘の無事を祈りながら続報を待て」

 男はそう締めくくり、携帯をポケットへと仕舞った。
 そして、男は椅子から立ち上がり、視線を笹南へと向けた。。

「お前はもう用済みだ」

 男は一瞬考えるそぶりを見せてから、笹南の猿轡を外す。
 塞がれた口が自由になり、訪れた解放感を味わうように笹南はたっぷり空気を吸い込んだ。
 そして、息と共に問いを吐き出す。

「……私は、いつ解放されるの?」

 笹南の言葉に、男は不思議そうに首を傾げた。

「何を言っているんだ? お前はここで死んでもらうぞ」

 それに笹南は目を見開いた。

「どう、して……」
「当然だ。お前は、俺の肉声を聞いたんだぞ? 俺が怖れているのは、犯罪者となることじゃない。俺が怖いのはあくまで法の裁きであり、嫌う所は手が汚れてしまうことだ」

 こつん、と男はポリタンクを蹴った。

「こいつでコテージは全焼し、俺の指紋ないし頭髪、服の繊維に至るまでの痕跡は消える。そして、ナイフや銃などとは違い、俺はただこの起爆ボタンを押すだけ」

 ああ、知ってるか? と。
 男は語る。

「東京大空襲。その死者は十万人にも及んだそうだ。戦時であり、敵国の人間とはいえ、相手は一般人だ。そんな彼らを鏖にするという任務を負ったパイロットたちは、罪悪感に押し潰されないようにこう念じたそうだ」

 男の顔は覆面に覆われており、素顔は見えない。
 けれどその穏やかな声音から、なんとなく、彼は微笑んでいるのだろうな、と思ってしまう。

「自分はボタンを押しているだけだ。ゲームのようなものだ、今眼下で大地を蹂躙している炎は、テレビで起こっている対岸の火事のようなもの。俺じゃない、俺たちがやっていることなのではない、とな」

 笹南は男の言葉に、絶句してしまった。
 現実であるということを、受け止めきれていないのか、一言も口を開こうとしない。

「だから俺もそれに倣おう。俺は金が手に入ることに浮かれ、爆弾のタイムリミットを更新し忘れ、解除もし忘れる。そう、これは事故だ。悲しい事故だ。俺のせいじゃない」

 ぞわり、と。
 笹南の肌が粟立った。

「じゃあな。制限時間は……おっと、残り三分か。この場に留まっていては、俺も焼け死んでしまうのでな。では、最期の三分間を噛み締めてくれ」

 男は踵を返し、部屋の出るべくドアへと歩き始めた。
 そこで笹南は我に返ったのか、堰を切ったかのように叫ぶ。

「ま、待って! あなたのことは、絶対に誰にも言わない! 警察や、お父さんやお母さんにだって! それにそもそも、あなたはどこか遠い所に高飛びするんでしょう!? なら、私を殺すことないじゃない!」

 しかしその必死の叫びは虚しく、男は歩みを止めることはない。
 彼は歩みをそのままに、部屋を出て行ってしまった。

「いや、いやぁ、いやいやいやいやいやいやいやいや! 死にたくない! まだ死にたくないよぉ!」

 笹南は駄々をこねる幼子のように、ただ死にたくないとだけ叫ぶ。
 けれどその声は、誰にも届くことはなかった。
 少女の叫びも虚しく、時は止まることなく、時限爆弾のタイムリミットも故障して止まるなどという奇蹟も起きない。

「誰でもいい……なんでもするから……」

 変わらぬ現実。
 逃れ得ぬ理不尽。
 どうしようもないという結論に至った笹南は、力なく項垂れる。

「お願い……誰か、助けて……」

 ピッピッピッ、と電子音が響き渡る。
 ご丁寧にも、残り時間は笹南に見えるように置かれている。
 もう、残り時間は十秒も残っていないかった。

「そ、そんな……」

 九……八……七……

「やだ、やだよぉ……」

 六……五……四……

「は、ははは……」

 三……二……一……

 ピピピピピピピピピピピピピピピ!! と。
 アラームが室内に鳴り響いた。

 次いで、ドアから数人の男女が部屋に入ってきた。

「お疲れ様~。良い画が撮れたよ」

 先頭に立っている男の労いの言葉に、笹南は苦笑した。

「あはは、本当に疲れちゃった」

後編に続く。

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